公開: 2019年8月31日
更新: 2019年8月xx日
1935年10月、中国北部の華北で、減税と自治を要求して、武装した民主が運動を起こしました。このとき、日本人が加わっていたため、日本の憲兵隊(軍隊内の警察)が取り調べを行いました。この民衆運動の背後に、日本人がいるとの報告が中国側でなされました。日本側は関与を否定しました。しかし、後にこれらの活動が日本側のスパイによる工作だったことが指摘されました。10月23日には、民衆は中心地を占拠し、「中国国民党打倒」、「役人の罷免」、「孫文の思想に基づく地方自治と農民救済を要求する宣言」を発表しました。
この民衆の蜂起は、日本軍により制圧され、この地域では解決しましたが、その他の地域でも自治を求めた民衆が次々と立ち上がりました。
1935年11月20日に、放棄した民衆は自治促進会を誕生させ、中国北部の全民衆に対して自治の確立を訴えました。11月25日には防共自治委員会が樹立され、中央政府と分離することを述べた自治宣言を発表しました。12月25日に委員会は改組され、防共自治政府となりました。この防共自治政府は、1938年1月に、日本軍の仲介で、2月に中華民国臨時政府に合流することとなりました。